おはな日記(26) by Ryu

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Written;2003/12/09 Ryu---Malawi No.2---

●Malawi<雑感>
《Cape Maclear》
◇いまから、どれくらい昔の話なのか検討もつかないが、昔も昔、大昔、地球にとんでもなく大きなヒビが入った。北半球から入りはじめたヒビは、シリアからヨルダン川、死海、紅海を通り、調子にのってアフリカ大陸にまで続き、エリトリア、エチオピア、ケニアまでくると南半球になるというのに、さらにタンザニア、マラウィを突き抜け、やっとモザンビークまできたところでインド洋にでてくれた。このヒビは広いところで幅が300km、高低差は1000mにおよぶところまである。これが、中学だが高校のときに習った「大地溝帯」とよばれる地球のヒビ割れだ。マラウィ湖はこのヒビの中にできた淡水湖で、ボク達はこの南端の「ケープ・マクレア」という田舎の村に2ヶ月間滞在した。

◇ウタカにカンパンゴ。共に現地語でマラウィ湖に棲む魚の名前だ。ここの湖は淡水湖では世界一の種類の多さで魚達が生息する。その代表的なのがウタカとカンパンゴ。ウタカは日本語の学名では、「カワスズメ」と呼ばれ、もともとこの湖に棲んでいた1種類が共存するために姿を変え、食べ物を変え、棲む場所を変えた結果にとんでもない種類に別れることになった魚である。そのなかでも、ここを訪れるダイバー達に人気のあるやつは、「マウス・ブリーダー」と呼ばれ、100を超える稚魚を口のなかで育てる。また、カンパンゴという巨大ナマズも人気者で、夜行性でサメのような魚体をして、口髭が8本もある。ちょうどボクが潜りまくった時期は繁殖期だっために子育て中の彼らの姿を大変よく目にすることができた。生態がはっきりしていない魚だけに、どこかの大学の先生が聞くとさぞかし羨ましがることだろう。ボク見た最大の大きさは1メートルをはるかに超えた大物で、胴回りも軽く60センチを超えてたから、もしかすると人間の子どもよりも大きかったかもしれない。

◇ダイビング・ポイントは10個所程度。多くのポイントはゴツゴツとした岩が転がり、それは見事な景観を水中で作り出している。ダイビングは水中のトレッキングみたいなもので、そんな景色を楽しみにくるダイバーも多い。太陽の光が水中で屈折しながら、その岩を照らし凹凸がわかる程度に陰影をつけ景色を作る。これが満月のあかりになると、その神秘的さはいっそう増すことになる。水中で生まれて初めてじっくりと月見をした。水面が波立つたびに月が揺れて、あかりも揺れる。「ほう、こら、知らんかった」。あたりまえの自然に感動を覚え、その後ますますダイビングにのめり込む。

◇「ド」がつくほど、田舎のケープ・マクレアに住む現地の人たちの生活は質素で、少し村を歩くだけで、その様子をうかがうことができる。泥で塗り固めた壁に葦か何かで葺いた屋根のひさしの下で食事の仕度をする女性達。また、何か政があると、奇麗な布をまとい歌いながら村中を練り歩く女性の姿もみることができる。大きなバオバブの木の下では、いつも子供たちが遊んだり、昼寝をしたり、踊ったり、浜辺は浜辺で、小魚を釣る子供たちや、水浴びをする人たちの姿がある。

◇だいたい、ダイビングのライセンスを取ろうと思ったのも思い付きで、適当にできればそれでいいから、《まぁ、テキトー、テキトー》といつもの調子だった。それが気がつくと2ヶ月が過ぎ、久しぶりに本気になった自分がいた。本気になった理由はいくつかあるが、はじめて潜った一発目に「なんじゃ、なんじゃ、この世界は!?」と感動と驚きと閃きが一緒になって、頭の中でグルグルまわり、気がつくとこのダイブ・ショップ「Scuba Shack」のオーナーでもあり、インストラクターでもある「菜穂子」さんに「奇麗なお名前ですね」。と、とりあえず誉めたあとで、「あのぅ、ダイブマスターになりたいのですが?」。「つきましては、お幾らですか?」と 尋ねると同時に腹が決まって、必ずやるぞと決心していた。

◇ボクが所属するダイビングの団体は「PADI」というグループで世界最大の会員数を誇る。ダイバーになるには簡単で、初心者でも4日間のコースを終了すれば「オープン・ウォーター・ダイバー」として認められ、世界各国でダイビングを楽しむことができる。ただし、このダイバーの場合は最大深度18mまでと決められている。ここで、もっともっと思った人は「アドバンスド・ダイバー」のコースを受講して、希望すれば最大深度40mまでのダイバーになることもできる。そして、まだまだ、もっと思った人は、「レスキュー・ダイバー」。ダイビングのプロフェッショナルとPADIが認める「ダイブマスター」のコースが用意されていて、それを職業にと思ったり、必要だと感じた人は、ここから更に、インストラクターの道を目指すことになる。ボクが決めた「ダイブマスター」になるには、60回以上のダイビング経験に加え、スーパーバイザーとして、インストラクターのアシスタントをしながら、各コースのダイビングについてまわったり、資格をもったダイバーを連れてダイビング・ポイントを案内するガイド役の様なことをしたりという経験も必要になってくる。まだまだ、他にもやることはたくさんあるが、要するに、ダイブショップでしばらく働くか、手伝いをしないと、これを取るのは難しいということになる。

◇話は、前後するがボクがお世話になったのは「Scuba Shack」という名前の店で、カナダ出身の「グレン・キャンベル」氏と日本出身の「ナホコ・キャンベル」さんの夫婦2人で経営するダイブショップ。グレン氏は「IANTD」というダイビング団体のインストラクターで、通算5000ダイブを超える大ベテランで、過去最高深度記録は154mの良い子は真似をしてはいけない「テクニカル・ダイバー」。一方、ナホコさんは「PADI」のインストラクターで、通算ダイブは2000回だったか、3000回だったか、とにかく彼女も大ベテランで、女性の最大深度の世界記録保持者でもある。もともと小学校の先生で、人にものを教える技は見事で、ここで「ダイブ・マスター」の資格がとれて本当に良かったと何度も感じた。

◇大概のことは時間をかけてでも勉強すればなんとかなるから、やっぱり鬼門は英語だった。器材の組み立て、取り付け、ブリーフィングといってダイビングをする前の説明。「頼むから、もっと来いよ日本人」と、思っていても毎日くるのは、イギリス、アメリカ、スイス、オランダ、カナダと青い目をしたボクから見れば外人さんばかり。とうとう観念して、目茶苦茶でも、いいからと思い切って話し出すと何故か不思議に通じることに気がついた。

《つまらない喧嘩》
「これだから、南アフリカの白人は・・・」。悔しい思いをさせられた。

誰かが、湖にサングラスを落としたとかで、グレンが「サーチ&リカバリーの仕事が入った。いっしょに行こう」と、ボクとおかやんを連れて出た。そして、いつものように馬鹿話をしながら30キロほど離れたその場所に移動する。

その依頼主が南アフリカの白人だった。「2人とも、腕のいいダイバーだ。彼らに任せばきっと見つけるさ」とボク達2人をグレンが紹介すると、「こいつら英語が通じないじゃないか、こんなやつらじゃ、みつけられる筈がない。グレン、お前が潜ったらどうだ」。と、いきなりこうきた。それでも大丈夫だからと、グレンが強気で押し通し大体の場所の説明を受けてから、器材をつけてダイビングを開始した。

マスクをつけて、レギュレターを口に入れ、さぁ行くかと思ったとたん、ボクの足元にそのサングラスが落ちてることに気がついた。ところが、一瞬見失い、おかやんを近くに呼んで一緒にさがす。「あった、あった、ここや」。おかやんが拾い上げてきたそれを、ビーチで心配そうにみている彼に届けると、「よく似てるが、これは俺のじゃない。しかし、まぁ、そっくりなので、これで我慢するよ」。と、気分の悪いことを言う。「どういう意味だ?」と聞き返そうとボクが顔をしかめたその時に、グレンがすかさず「そうか、それなら、そのサングラスは”Ryu”のものだ貰っておけ」と返してくれた。

つまらない喧嘩をせずにすんだ。

結局は、彼らは、肌の色が違うボク達、黄色人種が何をしても気に入らない。白人は頭が良くて世界の頂点に立つ完全無欠の人種で、それ以外は人間として扱っているのかどうかも疑わしい。言い過ぎかもしれないが、アパルトヘイトが撤廃されたいまでも、彼らの中にはまだまだ差別が残っている。

そして、翌日、グレンと話した。「ボクはあの南アフリカの白人が嫌いだ」。から始めた話は、やがてグレンの日本での苦い体験談に移って、やっとそこで気がついた。とにかく外国人に厳しい日本人。「外人、外人」と指を差し、道を聞いても逃げられる。苦労して覚えた日本語で尋ねているのに答えてくれない。カナダ生まれで、外人のグレンにしてみれば、「日本も南アフリカもやってることは同じじゃないか」。こう言われると返す言葉も、何もない。

まったく、つまらない喧嘩をせずにすんだ。

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