宗一郎日記(22) by Naoko

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2003/10-11 Malawi -- Ryu becomes DiveMaster (Cape Maclear)
マラウィ湖の小さな村、ケープマクレア 極めつけの出来事はマラウィ湖のほとりのケープ・マクレアでした。 ここは水の透明度の高さと美しい熱帯魚で世界遺産にも登録されている 所です。ダイビングのライセンスが格安で取得できることでも有名で、 「まあ、1週間でAdvanced資格まで取れたらすぐ出ようか」 と言っていたのですが。。。

なんといきなり、Ryuがスキューバ・ダイビングの「ダイブマスター」 まで取る!と宣言。ダイブマスターというのは アマチュアダイバーが取れる中でも最高の資格で、毎日ダイビング の特訓をしたとしても、最低2ヶ月はかかります。 ダイブショップはScuba Shackで、Ryuの決断の決め手は、インストラクター が非常に評判の良い日本人女性だったこと。彼女の名は 菜穂子キャンベルさんといって、カナダ人の旦那様と一緒にScuba Shack を経営しているのです。(もう何年も日本に帰っていないとか。。。) というわけで、あれよあれよという間に2ヶ月のケープ・マクレア滞在が 決定してしまいました。

アフリカ屈指のスキューバダイビングのメッカでもある。 ケープ・マクレアというのは面白いところで、マラウィ屈指の観光地 でありながら、道はまったく舗装されておらず、村には電気もなく、 電話なんか当然きていません。 (もちろん、インターネットなどある筈がないので、メールの読み書き などは300キロはなれたBlantyreまでこなければなりません。) 本当にベーシックなアフリカの香りのする 美しい小さな村なのです。そんな100年前のような村で、世界最新の ダイビング機材をつかって潜水のトレーニングというのもなんだか 不思議な感じがしますが、湖の魚たちがあまりにも美しいので そんなことはどうでも良くなってきてしまうのでした。

ケープマクレアで長期滞在していたら、そのうち、ダカールで出会った 懐かしの岡野さんがXR400でやってきたではありませんか! 実は彼は、すでにScuba Shack でかなりの資格をとっており、 ビザの期限がきたので、一旦タンザニアへ向かったものの、やはり マラウィのScuba Shackが恋しくなり、舞い戻ってきたのだとか。 そこから先は、ずっと岡野さんと一緒に、菜穂子キャンベルさんの お宅にお世話になっていました。一気に日本人率が上昇したケープマクレア ですが、これがまた楽しい日々でした。(途中でなんと、 滝野沢優子さん達も来てくれて、ダイビングこそしなかったものの、 ダカール以来の再会を祝することができました!)

Scuba Shackのオーナーの菜穂子さんとXR400の岡田さん ちなみに私もダイビングの資格を取得するつもりだったのですが、 初日からいきなり貧血、船酔い、とさんざんで、しばらく シュノーケリングの練習だけをやっていました。 2ヶ月目にやっとこさOpenWater(いちばん易しいやつ)を取得。 Ryuは毎日ダイビングで大変忙しかったわけですが、私は毎日 のんびりさせてもらっていました。

ひとくちメモ:マラウィ湖は「住血吸虫(ビルハージア)」がいるから 泳ぐのはイヤ、とビビっている人が多いようですが、ビルハージアは 薬を飲めば一発で全滅させられるので、心配しすぎもどうかと思います。 一回でもマラウィ湖の水中世界を覗くと、あまりの美しさにビルハージア なんかどうでもよくなってしまうことでしょう。 ビルハージアの症状はだるさや微熱などですが、あまり長期間放置して おくと血尿が出たりしてマズイ事になるので、症状が出たな (=何故かだるい/微熱っぽい)と思ったら、すかさず "Phraziquantel(フラジカンテル)" という薬を飲むこと。これで一日で治ります。 リロングウェ、ブランタイア、ンカタ・ベイといった 大きめの町で売っていますし、100円~200円と安いので、日本に帰る前に 2~3回分を買っておくと安心です。(ちなみに、日本ではほとんど入手不能 なので、絶対マラウィで買いおきしておくことをお勧めします!)

2003/11 Malawi -- Soichiro crisis! (Blantyre)
個人的に忘れられない思い出として、宗一郎がやばかった時の事を書きます(笑)。 私たちはカルネの期限が切れたので、ザンビアからこちらはずっと国境で 「一時輸入許可証」というのを取得して旅行していました。ところがこの 一時輸入許可証というのはいろいろ制限があって、やれ30日以内に有料で更新 しないといけないとか、更新時には保険を提示しなければならないとか。。。 それも、地方では全く更新できず(ケープマクレアなんかもってのほか)、 毎月いちいち300キロ離れた大都市ブランタイアの税関本部まで「出勤」 しなければなりません。

大事な宗一郎をポリスに没収されてしまった! Ryuは毎日ダイビングの特訓をする必要があったので、自然と、ヒマな私が 一人でブランタイアまでの伝令をしにいくことになります。というわけで、 10月と11月、合計2回、往復600kmの「書類更新プチ遠征」をしたのでした。

事件は2度目のブランタイアに着くなり発生。つつがなく300kmの道のりを 走り終え、ほっとした気持ちでブランタイアの安宿にチェックインを済ませました。 まだ午後3時くらいだったので、スーパーでも行こうかと思い、再び バイクに乗って、宿の外に出た直後!名物のポリスの検問がありました。 通常は免許証と登録書類を見せれば済むのですが、今回に限って 「保険を見せなさい」と言われます。言われるままに、いつも使っている 海外保険(税関でもOKを貰っている、ちゃんとした保険。それまで問題なし) を見せたところ、

「この保険はマラウィでは使えない。無保険でのバイク乗車は交通違反だ。 署まできなさい」

。。。と、信じられない事を言うではありませんか。

「待ってください。この保険は WorldWide で使えるものです。こちらの 税関本部でも、この保険でマラウィを走って良いとお墨付きを貰ってます。 何かの間違いではありませんか」
「マラウィでは使えないったら使えないのです!署まできなさい!」

いつもの調子で笑顔で乗り切ろうとしたのですが、運悪く、相手は婦警さんでした。 (アフリカの女性は真面目ですがプライドも高く、自分が間違っていても それを全く認めようとしない人が多い) さらに運悪く、マラウィには日本大使館 がないので(ザンビアの日本大使館が兼轄)、腐れ役人にいつも使っている 「日本大使館に報告します。名前とIDをください」攻撃も使えません。

これが問題の保険関係の書類 あれよあれよという間に、宗一郎は署まで連行され、カギは婦警さんに 取られてしまいました。時間をかけて婦警さんを論理的に説得しようと 試みたのですが、ダメの一点張りで、勝手に交通違反キップまで切っている ではありませんか!!さらに「交通違反。罰金として5000MK(50ドル)」 と、マラウィの物価では考えられないような、とんでもない高額を請求 してきます。(50ドルといえば、マラウィの庶民は大変な苦労をして 貯金しなければならない金額です。ちなみに比較的ハイソな学校教師の 給料は35ドル位だとか。庶民はもっと安くて15ドルくらい。)

私たちもマラウィ物価で滞在予算を組んでいるので、「50ドル、はいそうですか」 とポンと渡すわけには行きません。しかも全然悪いことをしていないのに 「違反だ罰金だ」と一方的に言われるのも気分が悪い。しかし宗一郎のカギは 例の婦警さんにとられ、バイクは署の駐車場にロックされたまま。つまり 宗一郎を人質に取られてしまったわけです。「バイクを返して欲しければ、 罰金を持ってくるか、いますぐマラウィ専用の保険を見せなさい」と あくまでも威圧的な彼女。話し合いはラチがあかず、私は失意のうちに 宿に戻りました。

だいたい、交通違反した車両を片っ端から「人質」にしているので、 警察署の駐車場はクルマであふれていました。日本では考えられない光景です。 マラウィでは交通違反で捕まると、クルマごと取り上げられてしまうのです。 彼らはそうして「罰金」を巻き上げているのでした。
宿の人いわく、「最近どうも外国人車両を狙い撃ちして取り締まりが 厳しくなっているのよね。きっと警察署、何かで大金が入り用なのじゃ ないかしら」。。。。とのこと。うーん、腐っとる。

翌日、仕方なくマラウィ専用の保険に加入。(これがまた高い!なんと10ドルで たった30日しか保証してくれない上に、保証可能金額すら記載されていない) ちょっと知恵を絞って作戦を練り、午後に再び警察署へ。例の婦警さんに その保険を見せたら、すみずみまでアラ探しをした挙げ句、 グウの音も出なかったらしく、悔しそうな顔でカギを返してくれました。 ふん。ザマミロ。

マンゴーが美味しくてよく食べてました さて、私の持っていた海外保険は本当にマラウィでは使用不可だったか?? とんでもない。私は「マラウィでは使えない」とポリスに言われたその保険を使って、 堂々と税関本部へ行き、一時輸入許可証の更新を果たしました。更新用の ドキュメントには保険証券の番号がバッチリ記載されており、その保険証券 の名のもとに、マラウィ国内を走ることを合法的に許可されているわけです。 (そのドキュメントを例の頑固な婦警に見せたかったけど、税関から持ち出し禁止とか で出来ませんでした。うう)

アフリカではいろいろ腐れ役人・ポリスに出会ってきたけど、バイクを没収 されたのは初めて。一晩だけで済んで良かったけど、まったく弱りました。トホホ。

(Text Written: 2003/12/18 @ Tanzania, Dar es Salaam)

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