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Monthly Diary

2003年出来事ダイジェスト

青山は2002年10月~2004年1月までの15ヶ月間、原付バイク(Honda XLR80)で アフリカツーリングに行ってました(まだ結婚してた頃)。 従って、2003年の一年間はスッポリとアフリカにいた事になります。以下にその大まかな流れを記しますが、 詳しくはOhana & Soichiroのサイトをご覧ください。

2002年10月~12月 (スーダン、エジプト、スペイン)

2002年10月5日、Naoko & Ryuは長年の夢だったアフリカツーリングにいよいよ出発。 バイク2台は事前にスペインのバルセロナ港に船で輸送し、その間にバイクなしでスーダンとエジプトを旅行。 まず10月中旬まではスーダンの首都カルツーム。暑い!貧しい!言葉通じない!初めてのアフリカに カルチャーショックを受けるが、根が親切なスーダンの人々に支えられ、なんとか無事に古代のピラミッド なんかも見ることが出来た。

10月後半は隣国エジプトのカイロに飛ぶ。いきなり宿が決まらず路上で一夜を過ごしてしまう我々。とほほ。 列車でルクソールに行き、数々の古代エジプト文明の巨大な遺跡群に圧倒される。すごい、すごすぎる! たった一週間の日程だったが、大きな感動を胸に秘めて、次なる期待と共にスペインへ。




11月、飛行機で首都マドリッドから、バイクの船が到着しているバルセロナへ。バルセロナではスペイン日新の 皆様のお世話になり、手間取りながらも無事にバイク受け取り。日本人旅行者の友達も大勢できた。 初めての海外バイクツーリングにドキドキしながらバルセロナ出発。地中海沿いに南下する。

11月中旬、グラナダ到着。シエラネバダ山脈のふもとにあるグラナダは、ヨーロッパ南端とはいえ寒かった。 ここで旅行者友達のミンジさんと再会し、いきなりすっかりグラナダ生活にハマる。世界遺産のアルハンブラ宮殿を 見るだけでは飽き足らず、これまた世界遺産のアルバイシン地区の築500年以上の旧家に転がり込み、 2週間ほど家の修復&改装を手伝う (実はミンジさんはそこに住んでいたのだった)。グラナダ在住のカメラマン夫婦、 馬場さん夫妻とも出会い、私達はすぐに友達となった。毎日のように人が集まり、自炊パーティをした。 このままでは楽しすぎてアフリカに行けない、ヤバイ!と思い、うしろ髪ひかれつつ 北アフリカのモロッコへ。




12月上旬モロッコ北部の港町タンジェに到着。いよいよここからがアフリカツーリング。しかし着くなり代書屋に 騙されて、本来無料の通関に金を取られる有様。まあ初めはこんなもんよ、と、その後数々のトラブルが待ちうけている とも知らずに走り出す。地平線まで広がる草原が美しい。また、それぞれの町には必ず旧市街(メディナ)があって、 入り組んだ迷路のような町を散歩するのが楽しかった。特にマラケシュは面白い!将来金持ちになったら、 おみやげを買いまくりに来ようと心に誓う。(いつだ?)

クリスマスをマラケシュで迎え、宝石のように美しい高原の町、タフラウ-トで新年を迎える。ここはホントに 世界遺産もびっくりの美しさ。




2003年1月 (モロッコ、モーリタニア)

モロッコも南部に入り、草原の風景から砂漠の風景に変わってくる。陽射しも強くなり空気も乾燥してきた。 うわー、サハラ砂漠だ~。と感動しつつ、食料は?ガソリンは?舗装路は?などと内心ビビりながら走るが、 モロッコは素晴らしい国で、丁度良い距離に便利な町があったし何も困らなかった。しかし夜は敢えて 砂漠の真中でキャンプ。空気が澄んでおり、星空が恐ろしくキレイだった。

モロッコ最南端まではきっちり舗装路がついていたが、モーリタニアとの国境を越えたとたんにフカフカの砂漠。 メインルートだからもっと楽勝だろうと踏んでいたが、甘かった!一番近い町、ヌアディブまでの50キロは当然ながら ずっと砂深いピストだった。1m進んでは、埋まる。力を使い果たす。Ryuに助けてもらう。2日かかった。




ヌアディブから首都ヌアクショットまでは、500kmものサハラ砂漠が横たわっている。とてもじゃないが原付では 無理。そんな時、陽気なフランス人のトラック商人が「バイクを積んで一緒に行かないか」と誘ってくれた。 トラックはよく砂に埋もれた。10kmしか進めない日もあった。そしてフランス人達は英語が通じなかった。。。 しかし一緒に砂を掘り、トラックを押し、パンクを直し、砂漠の難所を越えた後には、言葉の要らない世界があった。




2003年2月 (モーリタニア、セネガル)

モーリタニア/セネガルの悪名高いロッソ国境で、案の定地元ヤクザに捕まり大金を請求されるなどのトラブルあり。 警察も腐っており、どうでもいい保険のチェックなどを怠らない(もちろん不備を見つけてワイロ請求するため)。 セネガル最初の町サンルイには立派なリゾート風キャンプ場があり、大西洋に面したビーチでフランス人と共に ノンビリ過ごす。フランス語も少し覚えてきた。もはや砂漠ではなくサバンナ地帯である。

セネガル首都ダカール到着!CVDというヨットハーバーがあり、そこでヨット旅行者達と共にキャンプ生活。 ヨットで世界中を駆け巡る。。。違う世界が垣間見れて楽しかった。同時期にアフリカツーリング中の滝野沢優子夫妻 (セロー・ジェベル)と2年ぶりの再会!さらに岡野秀樹氏 ( XR400乗り→後にRyuのダイブ仲間となる人) と出会う。 日本人バイク旅行者が5人もダカールに集うという異常事態は非常に楽しかった。




その後、小国ガンビアへ。川沿いの自然豊かな国だった。ここのSukutaという有名なキャンプ場で再び 滝野沢優子&荒木健一郎夫妻と合流し、みんなで釣り三昧の極楽生活。Ryuが釣れた魚を刺身にしてくれた。 しょうゆとワサビを持ってきてヨカッタ!

2003年3月 (マリ)

3月のマリは暑かった。気温は45度を越えていたと思う。初日のたった100キロのダートで、十分に水を持たない というミスを犯し、いきなり脱水症状。やっと着いたカイエの町ではファンタ2本を一気飲みである。そこから首都マリ まではさらに500kmのボコボコダートらしい。この暑さでダートだと一週間以上かかるし死んでしまう、と思い、 列車にバイクを載せて移動。決してラクな列車ではなかったが、無事1日で着いたので良しとする。




2003年4月 (マリ、ブルキナファソ、ガーナ)

首都マリではフランス人友達のパトリックやレミと再会し、地元のマリ人の人々と共に音楽三昧の毎日。 ギニア方面を通ってきた優子さん夫妻とも3度目の再会!一緒に世界遺産のジェンネやドゴンまで走った。 ジェンネの泥のモスクは存在感に溢れていたし、ど田舎のドゴン村は直接バイクで乗り入れ、村人達とじかにふれあう 貴重な体験をする事が出来た。水道も電気も電話もない村で、泥の家の屋上で星を眺めながら眠る毎日。 すごく贅沢なひとときだったと思う。優子さん、ケンちゃん、有難う!




ドゴンで2人とわかれ、別ルートでブルキナファソへ。サバンナの風景から森のような緑豊かな風景へと移り変わる。 水田まであったのにはびっくり。久しぶりに水の溢れる風景を見て心が和む。ブルキナの首都ワガドゥグでは 森川さんという素晴らしい旅行者との出会いがあった。マザーテレサの男バージョンのような心優しい人で、 池袋で貧しい人々を助けている。名残惜しみつつ、別れた。

ガーナに入りあらびっくり。最初の町ボルガタンガに森川さんが居るではないか。会える人には会えるのだ。 楽しく数日間を一緒に過ごす。そしてまた、名残惜しみつつ、別れる。我々はバイクでゆっくり南下。 サバンナの風景はいつしか熱帯雨林に変わっていた。乾燥地帯からジャングルへの急激な変化は まるで魔法のようだった。そして激しい夕立(スコール)に見まわれる。どこも水と生命力に溢れていた。 やっと首都アクラに着いたと思ったら、またびっくり!そのへんの路上を森川さんが歩いているではないか。 3度目の超偶然の再会 ( しかも大都会 ) に、「あり得ない。。。。」と絶句する我々。日本での再会を誓う。




2003年5月 (ガーナ、南アフリカ、マダガスカル)

ガーナのケープコーストでは別の出会いもあった。黒人と白人のハーフの美しい女性が、突然流暢な日本語で 話しかけてきたのである。彼女の名はリラちゃん。日本で生まれ、日本で育ったという。まだ20歳だというのに視野が広く、 黒人も白人も東洋人をも超越した、絶対的な「人間」としての存在感があった。夢は世界平和、という彼女の将来が楽しみ。

再び首都アクラに戻り、バイクを南アに空輸する手筈を整える。バイクは欲深なタヌキオヤジとの交渉の末 ダンボール紙にくるまれ、私達が乗るのと同じ飛行機に載せてもらった。ちょっとドキドキ。




あっという間に南アフリカのヨハネスブルグに到着。これが本当にアフリカ大陸の一部なのかという位の先進国で驚いた。 まるでアメリカである。バイク受け取りも大変スムーズだった。西アフリカの今までの苦労は何だったのじゃ。 しかし、さすが先進国だけあって物価の高いのには閉口し、早くも南ア脱出を図る。ちょうどマダガスカル行きの エアチケットがすぐ取れたので、バイクを南アに置いたまま、一路マダガスカルへ飛ぶ。5月中旬である。

2003年6月 (マダガスカル、南アフリカ)

マダガスカルは文句なしに美しかった!自然も、人々も、何もかもが美しく輝いて見えた。素晴らしい棚田が広がる 高原地帯から、立派なバオバブが群生するサバンナ地帯まで、とても1ヶ月の日程で満足するのは不可能である。 物価も安く、食事も美味。アフリカなのになんとなくアジアの香りが漂い、フランスの影響もあっておしゃれ。。。。 何も期待していなかっただけに、衝撃は大きかった。

首都アンタナナリボは丘から見下ろす風景が素晴らしい。アンチラベの町では毎日ベトナム料理を食べ、温泉に入りに行った。 イサロ国立公園は2泊3日のトレッキングで夢ではないかと思うような光景を見た。仲良くなった日本人4人で チリビナ川を丸木船でワイルドに下る。4日がかり。極めつけはムルンダヴァのバオバブ並木。写真などでも有名だが、 この美しさは、見た人でないと信じられないだろうと思う。






6月中旬、再び南アのヨハネスブルグに戻る。バイクに乗りプレトリアを経てンプマランガという高原地帯へ。 おりしも南半球は冬であった。寒い寒い。南アの自然も素晴らしい。これで物価がもう少し安かったら最高なのに。 南アフリカは一見豊かなようでいて、実際には白人と黒人の間の経済格差はとんでもないレベルであった。 白人はプール付きの豪邸に暮らし、黒人はスラム街にかたまって暮らしていた。 確かに物質は豊富なのだが、どうしても人種の扱いに歪みを感じる。東洋人としては複雑な気分である。 ガーナで会ったリラちゃんの事を思いだし、やはり南アはまだまだこれからなんだな、と思った。




2003年7月 (ボツワナ)

本当は南アからジンバブエに抜けて、様々な世界遺産を見ながら北上しようという計画だったが、ちょうどジンバブエの ムガベ政権が白人を追い出しにかかっている時期で、治安が急速に悪化しているとの事だった。怒りの矛先は 主に白人に向けられたものであり、東洋人が旅行する分には大丈夫と知ってはいたが、政情不安のため、 ジンバブエ全土でガソリンが手に入らない状況だった。ビッグタンクが付いているライダーは、隣国でガソリン満タンに してからジンバブエを抜けていた程である。とても私達の原付では無理だと思い、進路変更してボツワナへ向かう。

ボツワナは再びサバンナである。ここは野生王国といった感じで、初日からいきなり、大きなダチョウが私達の バイクと一緒に併走してくれた。カッコイイ~。ボツワナはダイヤモンドで潤っている国で、南アフリカほどではないが、 大変豊かな国だった。白人も黒人も比較的仲良く暮らしていたと思う。フランシスタウンで出会った実業家の リッチな白人男性とバイク話で盛り上がったのをきっかけに、ウォーカー夫妻の家でしばらくホームステイさせて もらうことになった。毎日キッチンでごちそうを作り、子供達と遊び、ケーブルテレビを見て楽しんだ。 コンピュータも使わせてもらい、大助かりである。




2003年8月 (ボツワナ)

ウォーカー家の子供達がすっかりなついてくれた頃、名残惜しい気持ちをひきずりつつお別れする。さらに北へ 進み、チョベ国立公園へ。乾燥した広大なサバンナの中を走る。国道沿いにゾウの群れやキリンの群れが現れる程 ワイルドな所だった。路上でこれだけ野生動物が見られるのなら、サファリ行く必要はないのでは?などと思ってみるが それはそれ。やはりサファリに行くと一味違うのである。

チョベ国立公園では人気の夕日リバークルーズに参加。あの大きなザンベジ川を、観光客をたくさん乗せたボートで 野生動物を見ながらグルリと周遊する、ちょっと粋なサファリである。何十頭ものゾウの群れを見た。カバもいた。 ワニもいた。水牛、ガゼル、その他いろいろな動物が次から次へと現れる。すごい!そして最後に後ろを振り返ると、 大きな夕日がザンベジ川に沈むところだった。。。




2003年9月 (ザンビア)

ザンビアに入る。一番最初に見に行ったのは、泣く子も黙るヴィクトリア大瀑布!巨大なんてもんじゃない。 あまりのスケールのでかさに、とても写真に収めきれない。はるか国境を越えたジンバブエ側は水煙で曇っていた。 ( 水量が多い時期は雨ガッパを着ないと見学できないらしい )。そして眼下には輝くレインボー。

首都ルサカに入る。ここまでくると、南アやボツワナのような先進的な空気は影をひそめ、アフリカっぽさが戻ってくる。 初めてアフリカの孤児院に行ってみた。カシシ孤児院はアフリカNo.1とも言われる立派な孤児院で、中では 何百人もの子供達が元気にすくすく育っていた。どの子も幸せそうで、日本に連れて帰りたいくらい可愛らしい。




ルサカの有名なバックパッカーズ(安宿)で、不思議な二人組に出会った。EarthWalkerことポール・コールマンと、 日本人青年の中渓宏一 (なかたに・こういち) さんである。なんとポールは10年以上も世界中を徒歩で旅して、 歩きながら各地で自然と平和の大切さを訴え、植林活動を行っている人物であった。穏やかな風貌の中にも、 只者ではない雰囲気。彼のそれまでの旅の話を聞くほどに感動した我々は、「今すぐ日本語版ホームページを作ろう!」と、 まる一日ネットカフェに4人でこもる。そして皆で力を合わせて作り上げたのが Earth Walker日本語版ホームページ。 もちろんできたてなので訪問者数は少ないものの、立ち上げた直後から日本からの反響のメールが寄せられたのには 驚いた。

2003年10月 (マラウィ)

ルサカから東進し、"アフリカのあったかハート"マラウィに入る。マラウィではJICAの青年海外協力隊員さん達との 出会いに恵まれ、一緒に食事をしたり、稲作隊員さんにバイクで水田を案内してもらったり、マラウィ湖の世界遺産地域で スノーケリングさせてもらうなど、普通の旅行では出来ないような素晴らしい体験をさせてもらう。

さて、ダイビングの免許を取る以外にあまり用事はないと思っていたケープ・マクレアという村で、Ryuが突然ダイブマスター になることを決意!2ヶ月の滞在が自動的に決定するのだった。インストラクターの菜穂子さんは、カナダ人男性を夫にもつ 日本人女性で、もう何年も、このScuba Shackという有名なダイブ店を経営している。電気も、電話も、スーパーも、舗装路もないが、 何となく気持ち的に豊かな生活がそこにはあった。Ryuは毎日ダイビングの特訓である。




2003年11月 (マラウィ)

ケープマクレアに2ヶ月も居ると、いろんな出会いがあった。まず、ダカールで出会った岡野秀樹さん。彼は既にScuba Shack に数ヶ月滞在しており、ダイブの腕もかなりのレベルに達している。そんな彼が、再びマラウィに戻ってきてくれたのだ。 菜穂子さんの喜びようはかなりのものだった。Ryuも"おかやん"とは今まで以上の親友となる。皆、菜穂子さんの家に寝泊りし、 毎日、朝から晩まで行動を共にした。

そんなある日、これまた西アフリカでずっと一緒に走ってくれた滝野沢優子夫妻がケープ・マクレアに到着!ダカール以来の 日本人ライダー5人組の再会となったのである。ちょっと信じられないような本当の話。皆で美しいマラウィ湖でスノーケリング を楽しんだりして、楽しいひとときを過ごした。

いよいよマラウィを出るという頃、突然やってきた日本人ライダー、伊原正貴 (いばら・まさき) さん。なんと彼は50cc、それも ホンダゴリラという激ミニバイクで、もう4年も旅しているという。風変わりな旅行をしていながら、控えめで礼儀正しい彼は、 行く先々で多くの人々に愛されてきたことだろう。意気投合した我々は、途中まで一緒に走り、タンザニアでの再会を約束した。






2003年12月 (タンザニア)

多くの出会いに恵まれながら、タンザニアに入国。首都ダルエスサラ-ムでは、エメラルド色の海に白い砂浜という ビーチリゾートで、ゴリラの正貴さんと再会。一緒にキャンプ生活しながら、私達は自分達のバイクを日本に送り返す手筈を 整えるため、街中を奔走する。バイクは無事に送り返せるのか。

一見スムーズに行きそうに見えて、最後にドタバタ劇となるのがアフリカ流。なんとか数々の人的トラブルを乗り越えて、 やっとバイクのシッピングが完了した。ちょうどその頃、正貴さんは一路キリマンジャロに移動。我々もバスに乗り、 慌てて後を追いかける。キリマンジャロの町モシには、なんと正貴さんの彼女、幸代(ゆきよ)さんがはるばる日本から 訪ねてきてくれており、万年雪を抱くキリマンジャロを眺めながら、再会を喜び合う。




そして12月30日、エミレイツ航空に乗り、ダルエスサラーム空港を出発。想い出のつまったアフリカに別れを告げ、 トランジット先のタイに向かう。

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