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Monthly Diary
2004年1月元旦 「タイでまー坊と再会!」
大晦日にタンザニアからタイの首都バンコクに到着。アフリカからやってくると、同じアジア人の国、というだけで、
まるで家に帰ってきたような、ほっとした気分になるのが不思議だった。言葉も通じないのに。。。その日の夜にはタオ島行きの夜行バスに乗っていた。というわけで、新年はバスの中。
タオ島を目指したのはダイビングだけが目的ではない。実は、本当に偶然なのだが、同じ時期に隣の サムイ島に、マブダチのまー坊こと、坂口まさえちゃんが遊びに来ているのだった。 私達の旅を、ずっと日本から応援してくれた彼女。早く会いたい!と思う。
願いは叶い、タオ島でまー坊と感動の再会を果たす事ができた。南国の澄んだサンゴ礁の海で、 おしゃべりをし、美味しいものを食べ、スノーケリングをして遊ぶ!久々におしゃれにもちょっと気を遣って見た。 ああ本当に楽しかった。Ryuも毎日毎日、時を惜しむようにしてダイビングに没頭。潜りまくり。 文字通りの楽園だなあ。
2004年1月9日 「15ヶ月ぶりに日本に帰国」
気温35度の南国から、真冬の成田空港に到着。日本を出発してから、実に15ヶ月ぶり。
久しぶりのメガロポリス東京に、今まで過ごしてきたアフリカの世界との甚だしいギャップを感じ、混乱。でも適応能力はすごくて、不思議な事に、あれだけ色濃かった アフリカでの想い出が、すぅーっと遠のいていったのはオドロキだったかも。 別にアフリカを忘れた訳じゃないけれど、 どうやらアフリカ暮らしと日本暮らしは隔たりがありすぎて、すぐには脳内に同居できないみたい。
東京の実家に一泊。母が山盛りのお寿司で迎えてくれた。しかし、のんびりと過ごす間もなく、 翌日には池袋で、森川さんと再会!ブルキナ、ガーナで出会った、心優しいお医者さん。 池袋で路上生活者の炊き出しに行ってきた。何も手伝えなかったけど、野菜たっぷりのどんぶりは とても暖かく、美味しかった~。森川さん、ありがとう!
そんな私達も住所不定で無職だったりするけど。。。
2004年1月11日 「朝霧でみんなと再会!突然大パーティ!」
青春18きっぷで、富士宮まで移動。なつかしのウィリー祐一さんが車で迎えに来てくれた。そして
山村レイコさんの自宅兼オフィス、フェアリーテールへ。
従業員のまりさんが歓迎してくれた。わあ~,元気してましたか~!?
フェアリーテールはどこも変わりなく。。。。。って、あれ!?2つあった牛舎が跡形もない!
敷地の奥に、何やら巨大な基礎が打ってある!それから入口にある小さなログハウスは何だ!?やがて、レイコさんが仕事から戻ってきた。ああ、相変わらず素敵なレイコさん。その笑顔をアフリカで 何度想い出したことか。。。出発前と全く変わらない仕草で「おかえり~!!」と言ってくれた。 アフリカでの夢が現実になったのか、それともアフリカの現実が夢になったのか。。。 なんだか本当に家に帰ってきたような、嬉しくすぐったい気分に心が躍る。
すると、いつの間に連絡が入ったのか、あれよあれよという間に大勢の友達が駆けつけてきてくれた。 えええ凄い~!嬉しい~!あの人も!この人も!「アフリカのホームページ見てたよ!」なんて言ってくれる。 次々とごちそうが運ばれてくる。幸せでお腹いっぱい。もう食べられない~といいつつ、デブになってもいいや と思いながら最後のプリンをほおばる私。
朝霧に着いたその日に、一度にこんな大勢の友達と再会できるなんて、 私達は本当に幸せ者である。レイコさん、フェアリーテールのみなさん、本当にありがとう!
2004年1月中旬 「姫路に戻る。そしてルクレチア」
そのまま、青春18きっぷで、まる1日かけて姫路までトコトコ移動。Ryuの実家も帰国した私達を快く迎えてくれた。
姫路で預かってもらっていたトヨタハイエースを動かしてみる。ちゃんとエンジンがかかる。いいゾ。用事があって姫路駅前まで行った。「みゆき通り」の中に、私達の尊敬する宝石店「ルクレチア」 があるので、何気なく寄ってみた。運良く、社長の阿部さんも居るではないか。すると阿部さんは、私達の 帰国を大層喜んでくれ、旅行の話や商売の話で多いに盛り上がった。ルクレチアの宝石は大粒揃いで、 何十万~何百万もする。とても私達のサイフでは買えない。ふと店に、2万5千円の札がついた 青い美しいベネチアグラスの小皿があった。いつか仕事が見つかって初任給が出たら買いに来よう。。。 と思ったら、「気に入った?お祝いにあげるよ」と、阿部さん。ギャアアア、本当に貰ってしまった!!! 本当にキレイなベネチアグラスなのだ。阿部さんありがとう。宝物にします。(T_T)
2004年1月下旬 「朝霧-ログ材搬入大作戦!」
ハイエースに当座の荷物を積んで、再び朝霧に戻った。朝霧は雪で真っ白になっていた!
再び、フェアリーテールでの居候生活がはじまる。 いずれ富士宮市に住もうと思っているので、新しいアパートが見つかるまでの間、ここでお世話になることに。 フェアリーカフェで、昔と同じようにキャンプ用マットと寝袋で寝起きしていたら、レイコさんが、「あの小さな ログハウス、使っていいわよーん♪」と言ってくれた。ええええ、うそーーー!スゴイー!
次の瞬間にはテーブルやらベッドやら暖房やらがミニログハウスに運び込まれ、あっという間に「家」に なってしまった。富士山が窓からドーンと見える、最高の家である。あうあうー、嬉しいよー。
レイコさんは敷地内に大きなログハウスを建てる予定だ。そのための基礎もすでに出来あがっている。
そして、なんとRyuちゃんが、フェアリーテール側の現場監督という大役を仰せつかったのである。
過去に大規模な電気工事関係を仕切っていたという経験を買われてのことだった。
Ryuちゃんは「やった、ログハウスの勉強ができる!」と大はりきり。もちろん、遊び半分で引きうけるような
楽な仕事ではない事は重々承知している。かくなる上は、身も心もログハウスに捧ぐべし!?
そんなことを夢物語のような気持ちで聞いていたが、ついにそのログ材がカナダから届く日がやってきた。 1月24日、27日、28日に3日がかりで巨大コンテナから大量のログ材を運び出す。どれも 樹齢60年以上の巨大ログである。人力ではとても運び出せないので、45トンの巨大ラフター(クレーン車)が 大活躍!丸太が空を飛んでいくのを見るのは、なんだかとってもシュールで気分がよかった。
当日はログビルダーの皆さんだけでなく、大勢のボランティアの方々も駆け付けてきてくれた。 早朝7時、マイナス10度の寒さの中で作業がはじまる。寒がりの私は、とてもじゃないが凍ってしまう。 中と外を行ったり来りして、写真&ビデオ撮影係を担当させてもらった。女性陣は、朝からキッチンやかまどで 美味しい暖まる食べ物を大量に用意してくれた。あああ食事の時間、楽しかったなぁ~。
しかし本当にレイコさんもスタッフのみんなも、よく働く。朝から晩まで休みナシだ。レイコさんなんか、 100キロ以上あるような、でっかい丸太を嬉しそうに担いで歩く所を何度も目撃した。恐るべし。 私なんかは、楽なカメラ係で良かったけど、それでも毎回、夜にはヘロヘロ状態。 女性としては、そのくらいヘロヘロになるのが普通だと思うんですけど、どうなんでしょう。ねぇ、皆さん。
再び、フェアリーテールでの居候生活がはじまる。 いずれ富士宮市に住もうと思っているので、新しいアパートが見つかるまでの間、ここでお世話になることに。 フェアリーカフェで、昔と同じようにキャンプ用マットと寝袋で寝起きしていたら、レイコさんが、「あの小さな ログハウス、使っていいわよーん♪」と言ってくれた。ええええ、うそーーー!スゴイー!
次の瞬間にはテーブルやらベッドやら暖房やらがミニログハウスに運び込まれ、あっという間に「家」に なってしまった。富士山が窓からドーンと見える、最高の家である。あうあうー、嬉しいよー。
レイコさんは敷地内に大きなログハウスを建てる予定だ。そのための基礎もすでに出来あがっている。
そして、なんとRyuちゃんが、フェアリーテール側の現場監督という大役を仰せつかったのである。
過去に大規模な電気工事関係を仕切っていたという経験を買われてのことだった。
Ryuちゃんは「やった、ログハウスの勉強ができる!」と大はりきり。もちろん、遊び半分で引きうけるような
楽な仕事ではない事は重々承知している。かくなる上は、身も心もログハウスに捧ぐべし!?そんなことを夢物語のような気持ちで聞いていたが、ついにそのログ材がカナダから届く日がやってきた。 1月24日、27日、28日に3日がかりで巨大コンテナから大量のログ材を運び出す。どれも 樹齢60年以上の巨大ログである。人力ではとても運び出せないので、45トンの巨大ラフター(クレーン車)が 大活躍!丸太が空を飛んでいくのを見るのは、なんだかとってもシュールで気分がよかった。
当日はログビルダーの皆さんだけでなく、大勢のボランティアの方々も駆け付けてきてくれた。 早朝7時、マイナス10度の寒さの中で作業がはじまる。寒がりの私は、とてもじゃないが凍ってしまう。 中と外を行ったり来りして、写真&ビデオ撮影係を担当させてもらった。女性陣は、朝からキッチンやかまどで 美味しい暖まる食べ物を大量に用意してくれた。あああ食事の時間、楽しかったなぁ~。
しかし本当にレイコさんもスタッフのみんなも、よく働く。朝から晩まで休みナシだ。レイコさんなんか、 100キロ以上あるような、でっかい丸太を嬉しそうに担いで歩く所を何度も目撃した。恐るべし。 私なんかは、楽なカメラ係で良かったけど、それでも毎回、夜にはヘロヘロ状態。 女性としては、そのくらいヘロヘロになるのが普通だと思うんですけど、どうなんでしょう。ねぇ、皆さん。
2004年1月下旬 「家さがし・仕事さがし」
さて、そんな大イベントの合間を縫って、私は家さがし&仕事探しを少しずつ開始していた。
スタッフのまりさんも、ちょうど家さがししていたので都合が良い。しかし、2~3万円大の安い家は
ある事はあるのだが、条件が厳しく、「え、東京から来た?実家は姫路?いやあ、親兄弟が富士宮に住んでないと
保証人としては認められませんね~」と、身もフタもないことを言われる。
結局、仕事がないとアパートすら借りられないという事が分かり、私は活動の焦点を就職活動に 切りかえることにした。求人情報誌で英会話の講師の募集を探し、履歴書を送ってみる。 果たして。。。。!?
結局、仕事がないとアパートすら借りられないという事が分かり、私は活動の焦点を就職活動に 切りかえることにした。求人情報誌で英会話の講師の募集を探し、履歴書を送ってみる。 果たして。。。。!?
2004年1月31日 「精進湖の家」
ログ搬入の時に友達になった、自然暮らしびとの石田さん。波長が合う、素敵な人だ。その石田さんの
紹介で、朝霧の近くの精進湖のほとりに空家があると聞いた。さっそく連れていってもらう。仲介してくれた
のは、石田さんの友人のカメラマン、平澤さんであった。
平澤さん自身も、精進湖のほとりに古い民家を借りて、コツコツと改良を重ねながら暮らしている。
お邪魔させてもらったが、黒光りする柱に真っ白な障子。そして外には竹林が広がり、なんとも風情がある。
ここまで仕上げるのは、さぞかし大変だったに違いない。紅茶をご馳走になっていたら、突然青い目をした
アメリカ人がやってきた。その名もジェイク。同じく精進湖に住んでいるらしい。日本語ペラペラで驚いた。
すぐ近くにSolar Cafeという店があるのだが、実は彼が経営者だったのだ。夏には
海外からのバックパッカーが多く集うらしい。ムムム、私達も将来はそういう仕事がしたいぞ。
すぐに打ち解け、友達になる。
平澤さん自身も、精進湖のほとりに古い民家を借りて、コツコツと改良を重ねながら暮らしている。
お邪魔させてもらったが、黒光りする柱に真っ白な障子。そして外には竹林が広がり、なんとも風情がある。
ここまで仕上げるのは、さぞかし大変だったに違いない。紅茶をご馳走になっていたら、突然青い目をした
アメリカ人がやってきた。その名もジェイク。同じく精進湖に住んでいるらしい。日本語ペラペラで驚いた。
すぐ近くにSolar Cafeという店があるのだが、実は彼が経営者だったのだ。夏には
海外からのバックパッカーが多く集うらしい。ムムム、私達も将来はそういう仕事がしたいぞ。
すぐに打ち解け、友達になる。