おはな日記(25) by Ryu

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Written;2003/12/09 Ryu---Malawi No.1---

●Malawi<雑感>
《Lilongwe》
◇「Zambia」の「Chipata」という国境の町からマラウィに入国する。国境から首都の「Lilongwe」までの道のりは特筆するほどのことはないが、この国もまた、地方の農民の暮らしはお世辞にも豊かには見えない。ボロボロに破れ、真っ黒に汚れたTシャツでバイクに手を振る子供達。擦りきれて向こうが見えそうなシャツを着た女性。都市に住む人と住めない人。《この差はなんじゃ?》といつも考えてしまう。

◇「シマ」という食べ物がある。トウモロコシを粉にしてそれを熱湯でといた餅のような食べ物で、南アフリカからあたりから、よく目にするようになった黒人達の主食である。ちなみにタンザニアあたりのスワヒリ語圏では「ウガリ」というらしい。魚、肉、豆、野菜、いろんなスープにからませて食べるので日本人が米を食うのと同じ感覚で彼らは「シマ」を食う。できたてのそれは、それはもう熱くて熱くてたまらないが、さらにたんまりと盛ってあるのを一口サイズにちぎり何故か手のひらでコネコネしてから、好みのスープをつけて頬張る。質より量のアフリカらしい主食でたいそう安いのに腹一杯どころか、一人前を食いおわると動くのが億劫になるほどで、屋根と壁がかろうじてあるかと思える掘っ建て小屋のローカル食堂では、50円一人前を2人で分けて腹八分目に食っていた。

◇ザンビアからこっち、海外青年協力隊(JICA)の方に出会う機会が多くなってきた。そして、マラウィに着いたその日。たまたま、立ち寄った土産屋の店先で出会った女性も、元隊員さんで彼女にカシシ孤児院の話をすると、「ここにもマザー・テレサの孤児院がありますよ」と、さっそく翌日案内してもらうことになる。まったく、「そこで何かを見てこい!」と誰かに仕組まれているような気になってしまう。

◇カシシの孤児院が凄すぎた。「あそこに比べると、ここの孤児院は・・・」。あとに言葉がないほど酷いものだった。相当に栄養が片寄っているのだろう子供達全員のお腹はポッコリと膨らみ全員が栄養失調気味で、着ている服も汚れたまま。晩飯にと用意されている鍋の蓋をこっそりあけて見てみると、肉も野菜も入っていないトマトスープは少し匂う。「マザー・テレサの真似なんか、誰もできるわけないのに・・・」。孤児院の入り口にあがった「Mother Teresa Children's Home」の看板が哀しく見えた。

《田んぼの中の田んぼ》
「迷惑やなぁ」。そう感じつつ、マワウィ湖畔の村「ケープ・マクレア」に行く途中だからと、頼み込みJICAとマラウィ政府の共同プロジェクトの田んぼを見学させてもらうことにした。

田んぼに着くなり驚いた。川に沿ってはるか彼方の10キロ先まで、横幅600メートルで田んぼの田の字が延々と続く。用水路が引かれ村の中には精米所まであるという。

もっと驚いたのはその植え方で、ボクは知らずに「へぇ、ちゃんと機械で植えてあるんですね」。と尋ねると、「いやいや、これは手植えですよ」と返事が返ってきた。「農民に、知ってもらいたいことは、どうすれば1枚の田んぼから収穫量を増やすことができるかです」。

田植えをするときに糸を張って植えさせたという稲の並びは、機械植えより真っ直ぐで、《こりゃ、凄い人に出会ったもんだ》と勝手ながら、ボクより少しだけ年上のこの男性を、「まさしく、これが田んぼの中の田んぼの男だ」と、一目惚れしまった。

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