おはな日記(21) by Ryu

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Written;2003/07/31 Ryu---Madagascar No.2---

●Madagascar <雑感>
《Madagascar》
◇《ほんまに、大丈夫かこの飛行機》あこがれのマダガスカルに行くためだから、我慢して乗っているが、そうでないなら二度と乗るかと思うほど小さな飛行機はガタガタと翼を震わせ音をたてながら離陸した。ただでさえ飛行機があまり好きじゃないボクにとって、小さくて古いボーイング737は大変大きな棺桶にしか思えない。

◇《やっぱり、(この国は)生き物みたいやなぁ》空港に着陸して飛行機から降りるなりそう感じた。これから先の1ヶ月間、ボク達はこの国を存分に満喫できると思うとうれしくてしょうがない。入国手続きを済ませ、ロビーにでると怪しいタクシードライバーやら、旅行エージェントが次々と声を掛けて来る。《そうそう、そうこないと面白くないやん》と、適当にあしらったあと、どこまでもついてくるシツコイ輩を怒鳴って追い散らす。一見、親子に見られたりして、老けた顔つきになる不本意な「坊主、髭面」だが、こんなときには大いに威力を発揮する。

◇首都は良いから、先を急ごうと翌日、必要な両替だけを済ませて、「Antsirabe」に向かうことに。ブッシュ・タクシーと呼ばれるごくごく普通のワゴン車に運転手を入れて15人。その屋根の上にはみんなの荷物やら、アヒルやらニワトリやら、米やら野菜やらがパンパンに積み込まれて出発する。中央高原地帯と呼ばれるだけあって、緑の草原と棚田、ボコボコした白い岩肌をみせた山々をみながらのドライブが続く。

◇「Antsirabe」に着くなり、車ごと数人の男達に囲まれる。窓にしがみつき、何やら叫んでいるがまったく聞き取れない。《なんじゃ、こらぁ》と車を降りると、プスプスと呼ばれる人力車の男達で、街の中心までこれを使えと言っているのが分った。その昔は、首都の「Antananarivo」にも沢山いたそうだが、車社会になって交通の妨げになるとかで追い出されて、この町に流れてきたそうだ。だから、いったい何台、何人居るんだと思うほど、ここ「Antsirabe」にはプスプスが走りまわっている。古い石畳の町並みのなかを走る彼らの姿は、なかなか風情があって絵になるが、これだけに頼って生きていて大丈夫なのかと、こっちが心配になったりする。

◇「Ranohira」という村から、「イサロ国立公園」の中をトレッキングした。この島が生きている気配は足の裏から伝わり、ドックンドックンを脈を打つ音がボクの全身にこだまするよう。「Piscine Naturelle」のキャンプ地は、そこを囲むように、幾つもの層を持った灰色で無機質な岩山がそびえる。その頂のひとつに登り辺りの景色を一望したとき、一緒にいたフランス人のギオームは「まるで詩の世界だ」と一言だけいい、そこに座り黙り込んだ。そして、ボク達は、しばし、この無機質で音のない世界を楽しんだ。

◇移動する車のカーステレオから流れる音楽がなんとなく懐かしい。1980年代、ボクがまだ中学生だったころ、音楽は、アリスや松山千春、さだまさしに長渕剛。あとは、友達のお兄ちゃんのLPをかりて、かぐや姫なんかもよく聞いていた。時代は、高度経済成長期をすぎて、そろそろ、あともう少しでバブル景気に突入するころ、社会に対するメッセージを歌に込めたフォークソングから、人生だとか、愛とか恋とか、なんてことを題材にしたニューミュージックと呼ばれる曲調に変わりはじめていた。それは、ただ、うるさくジャカジャカ、ギターを弾き鳴らすだけでなく、かといって、ただ静かでおとなしいだけでなく、聞いているうちに《そうか、そうか、そうすればOKだ!》などと、時には、彼女と仲直りする方法なんかが見つかったりするものだった。マラガシーが分かるはずもないボクだが、耳になじむ、その曲調はそんな昔を思い出させてくた。

◇「MORA MORA」とはマラガシーで「のんびり、のんびり」、「ゆっくりゆっくり」とか、「しんと静まり返った景色」だとか、「平和的な」なんていう意味も含んだりする不思議な言葉で、偶然出会ったヒトミさんとユーキ君の誘いを受けて、ボク達の4人の一行が、「Tsiribihina River」を下るために使った丸木舟がこの名前だった。乾季で水量の少ないこの時期の「Tsiribihina River」の流れは緩やかで、マダガスカルの緑溢れる景色を鏡のように映し出す。その中を、ゆっくりと木製パドルを漕ぎながら進んでゆく様は、まさにこの言葉がぴったりで、周りの自然や景色を楽しみながら、腹が減ると船頭に合図をして川岸に船を寄せて飯を食い、夕方近くになると、適当な場所を見つけてテントを張り、これでもかと流木を集めて焚き火をはじめる。適当に疲れた体は1本のビールで眠気を誘いシュラフに潜り込むと朝まで覚めることなく眠り続け、そして翌朝、向こう岸が見えないほど靄がかかったの川面の風景が、まだあがりきっていない太陽の朱色と混ざり合ったころに自然と目を覚ます。 2泊3日の川下り、どこのどの場面をとっても「MORA MORA」だった。

●聖なるバオバブ
地元の人が、「聖なるバオバブ」と呼ぶ、その木はバナナ畑に囲まれたこんもりとした小さな森の中にある。

畑を荒らさないように畦道を通って、ボク達がそこに入ると《なんじゃこりゃ!》と驚くほど大きなバオバブの木と、赤いマントと赤い帽子をかぶった男(神官)が椅子に座り、机の前で唄うように呪文をとなえては、その後ろで地べたに座り込んだ30人ほどおっちゃん、おばちゃん、子どもに年寄りたちが、手を叩きリズムをとって唄い、ある女は腰を振り振り踊る姿があった。

「何の儀式ですか?」と、ここに連れて来てくれたタクシーの運転手に尋ねると、この中に体の具合が悪い人がいて、それを「この木」に治療して貰うための儀式だと教えてくれた。ボクは《そんなことができるのか、凄い木だなぁ》とつくづく感心して、木肌に耳を当て聞いてみた。老いてはいるが元気に脈を打つ音が聞こえ、それからその木は、ボクにも手伝えと言ってきた。

手伝えと言われても、何を手伝えば良いのか分からぬままに、村人たちの様子を遠巻きに眺め、ボクも皆と同じように手を叩き、病が治りますようにと祈ってみた。すると、ボクに気が付いた一人の村人が《こっちへ来い》と手招きする。ボクは吸い込まれるようにその中に入りと、太鼓と弦楽器の音が大きく鳴り響き、村人の観衆があがった。赤いマントの男(神官)はボクに目配りをして病の男を紹介し、そして、男の病は頭に問題があるとボク自信に頭痛を与えて教えてくれた。

祈りの儀式の最中、神官の机に置かれた、塩やサトウキビで作られた酒、米やなにかのジュースは、バオバブの木の周りに少しづつ撒かれては病の男と村人に分けられる。その祈りの儀式は延々続く。どれぐらい時間が経っただろうか、《もう大丈夫だ》と感じて席をたちそこを離れることにした。

帰り間際、《本当に大丈夫か?》と気になり振り替えると、赤いマントの男が、急に立ち上がり頭を抱え込んだままその場でグルグルと廻り出した。すると、白い煙が頭のてっぺんから上がりだし、聖なるバオバブの木に次々と吸い込まれてると、やがて儀式も終わっていった。

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