おはな日記(2) by Ryu

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Written;2002/11/20 Ryu---一月が過ぎて---

ボクと同じ時期、30歳を越えてからバイクを乗り始めたある友人が、北海道のツ-リングの思い出を一通り話した後で、ボクにこんなことを言った。

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「もっと、若いときに乗り始めていたら、バイクから見える景色は、もっと新鮮だったろうに。 この年じゃ、旅をしていても、仕事のことや家族のことが心配で、心の底から感動していない自分がいるんだよね」。
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10月5日に日本を出発して、はや1ヶ月が過ぎようとしている。その間ボク達はス-ダンとエジプトというアラブの国々を駆け足で見てまわった。そして、ボクの頭の中には、再びあの時の友人の言葉が繰り返されるようになった。

だから、この日記を書くのをサボっていたわけじゃないけど、ここにこうして書くからには、見たもの聞いたものを自分の言葉で、そして自分の感覚で表現してみたい。この歳ではじめた旅だから、この歳だから気づく景色を、今までの自分の経験があるから書ける言葉が、きっとある筈と、たかだか、日記を書き続けるのにそんなことを考えてた。

■ス-ダンに思う

この国は、襟岬よりも何もない。

それに加えて、国連加入国中、もっとも貧しい国だと言われるだけのことはあって、一部の金持ちを除くと、とにかく人々の暮らしは物質的には豊かであるとは言い難い。それでも、最近は中国とのベンチャ-でオイルが出たから、これでも少しは活気付いし、良くなった方だと友人アブドが教えてくれた。

スーダンでの食事風景
ボク達はそのス-ダンで何をしていたかというと、アブドの友人、知人に沢山逢わせてもらって、その家にお呼ばれては、馳走を食って食って、くいだおれていた。

アラブのイスラム社会、特にス-ダンでは客を招いたときの接待は半端じゃない。子どもが沢山いて、面倒をみないと暮らしていけない自分の親兄弟家族も沢山いて、月給は1万円あるかないかのキチキチの生活なのに、ボク達が家に行くとテ-ブルにはところ狭し、これでもかっ!!!とビックリマ-クが3つじゃ足りないくらいに並べられ、もう勘弁してくださいと言うまで食べ続けることになる。

こうして、「アッサラ-ム アレイクム」と家族みんなと握手して、用意された食事をみんなといっしょに手でつっつきながら食べおわる頃には、ボク達は客人から友人として迎えられることになる。だから、多分ボク達は2週間の滞在で100人を超えるス-ダン人を友人に持ったことになる。

何もないけど、人の親切と友情だけはテンコモリにある国。ボクはこの国が大好きになった。

■エジプシャンのバクシ-シ

エジプトでは、ことあるごとに「バクシ-シ」(貴賎)と言っては、観光客から金をせびる輩とボッタクリの商売人にボクは関西弁で怒鳴りまくっていた。

ス-ダンと同じアラブ社会でムスリムでありながらも国がかわると、こうも人が変わるものかと信じられないくらいだ。エジプトには、ピラミッドという観光資源とナイル流域の豊かな土壌から生まれる農作物はあるけれど、どういうわけか、人々の暮らしぶりはス-ダンよりも、少しはマシなぐらいで、田舎に行くと然程大差はない。

そんな彼らの前に、自分たちの何十倍もの金を稼ぐ外国人がやってくるのだから、少し位はボッテも平気だろうし、昨日から飯を食ってない私に恵んでくれてもいだろうの気持ちがそうさせるのか、もっと複雑な何かがあるのか知らないが、とにかく、平気で嘘をついて、自分の店に引き込むし、最初に言ってくる値段にしても、外国人とみると倍は平気で吹っかけてくる。

それでも、そのときは関西弁でカッとなって怒鳴りまくったボクだったが、自分がもしこの国に生まれていたらと、冷静になって考えてみると、多分、おそらく、いや絶対、同じ事は当然するだろうし、もっと欲張って倍はおろか10倍くらい吹っかけて商売するかも。サラリ-マン時代、客先にだしてたボクの見積もりみたいに。ありぁ、バクシ-シどころじゃなかったからね。



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