おはな日記(7) by Ryu

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Written;2003/02/01 Ryu---Mauritania No.1---

●くそったれ!Mauritania <雑感>
<モロッコ~モーリタニアの国境>
◇1月9日にモロッコのダクラを出発し、国境を越えてヌアディブに到着したのが1月11日。車や排気量のあるバイクなら1日で通過できるルートにボク達は3日をかけた。80ccの小さなバイクでは、砂の上を滑るように走るパワーは到底ないが、それ以前にボク達自身にそんな技量がない。

◇ダクラから国境までの道のりは、お世辞にも素晴らしく美しかったとは言いがたい。行っても行っても同じ景色が通り過ぎるだけ。ただし、北西からの風が強く吹きだしたときだけは違った。サハラの細かい砂を煙のようにまき上げ、その風と砂がアスファルトの上を這いずり回る。瞬きしても、唾を飲んでも、鼻をすすっても、その動作にジャリジャリと音がするかと思うほど不快この上ないのに、道上に描かれたその模様がとんでもなく奇麗で、バイクを走らせ壊してしまうのが勿体無く思えるほどだった。

サハラの道 モーリタニア国境の道

◇モロッコ国境を越えて、モーリタニアのヌアディブまではたった50kmしかない。ボクは<たったのこの距離なら1日で到着できるな>と踏んでいたが甘かった。フカフカの砂がタイヤにのめり込みバイクが前に進まない。3km進むのに1時間もかかるペースが何時間も続く。結局、この日は諦め途中ビバーク。満月に近い月明かりにつつまれて、ヘトヘトに疲れた身体を休めた。

<なんとかサハラを越えてみたい>
◇ボク達の様な小排気量のバイクが、モーリタニアのヌアディブからヌアクショットの町へ移動するには2つの方法がある。一つは、ヌアディブから東西に走る列車にバイクを乗せてアタールという町に向かいそこから目指す方法と、もう一つは、トラックや4WDにこれまたバイクごと乗せて貰ってサハラの海岸沿い、アルガン国立公園を抜けていく方法。いずれの方法もバイクごとというのが味噌で、技量がどうのこうのというよりも、そうしないと僕達自身がサハラの砂になってしまう。

◇ボク達は、最初、列車の方法を試してみた。スイスとフランスから来たBMWに乗るリュックとパトリックにヌアディブで再会したからだ。彼らは、ボク達とは違う意味でサハラを自走することを躊躇っていた。それは、バイクがあまりにも大きすぎることが第一の原因で、だから何かに載せて運ぶ方法を考えていた。

パトリックサハラの道 リュック

◇そして、再会したボク達は彼らの選んだ列車を使ってに便乗することになったのだが・・・。「今日の夕方出発する」。「いや明日の朝8時に来い」。「今回は載せられないが次の土曜日なら大丈夫だ」。言うことがコロコロと変わる。腹を立てても、これがアフリカだからしょうがない。と分かっていても腹が立つ。ビザの残り日数が気になるボク達は、結局、何か車に載せてサハラを越える方法に変えることにした。

◇1日中、列車の係りの人たちに付き合って「機嫌とり」をしていたので疲れた。銭金も大切だが、ここでは人間関係もすごく大切だと、なんとかこの土曜日には列車に乗りたいパトリックは、そこの人たちと話し込み、水やパンを差しだし、アラビア語がどれだけ素晴らしいかを語る叔父さんにフムフムと肯いていた。ボク達も保険の意味でそれに付き合った。万が一、載せてくれる車が見付からなくても、土曜日まで待てば列車があると思えば焦る必要もないからだ。

◇機嫌とりに疲れたその日、長い黒髪を後ろで束ね、スペインならヒターノ。フランスならジタンと呼ばれるのだろうと、みるからにそんな顔をした叔父さんがボク達に声を掛けてきた。「ヌアクショットまで行くなら俺達のカミオンに載せて行けよ」。「お前達なら金はいらねーぜ、ぐははははっ」。些かというより、かなり下品そうだが、人は良さそうで、何よりもその笑い声と笑い方が良かった。少しだけ悩んだ後、ボク達は手を取り合って喜んだ。捨てるアッラー(神)あれば、拾うアッラーあり。

◇フランスから3台のカミオンと2台の乗用車を売るためにアフリカに来た彼らは、パトロンのダニエル(声を掛けてくれた叔父さん)、その奥さんのセシル、ダニエルの友人でもあり、サハラは俺の人生だぜ!と豪語する大ベテランのヴァン、サハラに入ったとたん全開スイッチが入るステファン・バット、何回スタックしてもニコニコしてる陽気なジャン・ポール、物静かで、それでいてスタックするとみんなが嫌がる車のしたに潜り込んで、必死に砂をかき出すステファンの6人。この一行に加えて、いっしょにサハラを越えたいというカミオン・ルージュに乗るフランス人夫婦の二人に、マリに帰る途中だというアルファ。ボク達と同じようにヒッチハイクさせてもらったスイス人のバックパッカー。あとは、ガイドのシディーとオマルにモハメットに4~5人のモーリタニア人。以上、総勢20人ほどが、3泊4日、二度と忘れることができない思い出をこのサハラで持つことになった。

フランスのみんなと

◇「出発をもう一日延ばすことにしたわ」。セシルがボク達に言ってきた。乗用車の2台のうちの1台は既に売却済みだったが、さらに3台のカミオンのうちの唯一の4WDが、ここヌアクショットで売れたのだという。<幸か不幸か>。パトロンにとっては「幸」かも知れないが、唯一の4WDがサハラを超える前に売れてしまったのは、そこを越える総勢20人には「不幸」だった。他の2台は普通の20tと15tの2WDカミオンだからだ。これで、スタックしたときに引っ張り出す車がなくなったことになる。「まぁまぁ、20人もいるんだからどうにかなるさ」ベテランのヴァンが、右腕に入れた最初の奥さんの刺青が、砂の汚れでくすんだと、唾を吹きかけ拭きながらこう言った。そして、翌日。予定時刻を2時間ほどオーバーして2台のカミオンが走りだした。

◇「くそったれ!Mauritania」としたのは、期待外れに色々ありすぎたからで、別に嫌いになったわけではない。サハラだけであとは何もないし。ガイドブックには行かない方が良いとはっきり書いてあるし、確かに、ろくでもない国で役人は金のことばかり考えているし、店ではぼられるし、とんでもないことばかりだが、そこで出会った人が良かった。本当に良かった。「くそったれ!」とはせずに「セボン!」にしたいところだが・・・。

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