おはな日記(18) by Ryu

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Written;2003/07/29 Ryu---Ghana No.2---

●Ghana <雑感>
《Accra》
◇べつに、この街がすごく気に入ったからではなくて、ボク達にはどうしようもできない理由から、1ヶ月以上も滞在することになってしまった。最初のうちは、あっちこっちと近くを散歩もしていたが、そのうちそれも飽きてきて、ちょうど旅の日記を書くのにいいやと、毎日、仕事のようにネットカフェに通っては、更新といままでの個所の加筆と修正に明け暮れた。

◇アクラの街は週末になると葬式が多い。葬式と言っても日本のそれとは似ても似付かず、ジャンベと呼ばれる太鼓をドンドコドンと叩き鳴らし、笛もピューピュー吹き鳴らし、それにあわせて、家族に友人、知人、どうみても、ただ騒ぎたいだけで仲間に入れてもらったおじさんまでが列をなして街中を練り歩く。祭りじゃなくて、葬式なんだから、哀しのは哀しい筈だと、じっとみてたら、その哀しみかたが少しだけ見えてきた。多分、その子の母親だろう。両手に写真をしっかり持って道ゆく人に声を掛けられては、そいつをみんなに見せている。そして、うんうんと肯いては、そうかそうかと笑顔で去っていく。なんだか、「そうかそうか、あっちに行っくか、まぁ、この子なら大丈夫だ。しっかりやると」。言ったかどうかは定かでないが、まるでそんな調子に見えてきた。それは、とにかく哀しいだけの騒ぎじゃなくて、「頑張ってやれよ、やるんだぞ」とみんなで応援している様。と、こんな楽しい葬式もある。

◇やっと、少々面倒だった問題も解決して、南アフリカ出発の準備をはじめる。このあと、ボク達は、飛行機でバイクごと飛んで、首都ヨハネスブルグで荷物を預かってくれる宿を見つけて、すぐさまマダガスカルに再び飛び、そこで約1ヶ月の滞在を予定している。

◇南アフリカ行きの航空券の予約をして、その出発までに少し時間があるからと、3泊4日のツーリングに行くことにした。行き先は、世界遺産に登録されているケープコースト。奴隷貿易が盛んに行われていた頃、その積み出しに使われていたという要塞と、そのすぐ近くにある熱帯雨林が吊り橋の上からみることができるという「カクム・ナショナルパーク」。1ヶ月ぶりに、まともに動かしてもらう「おはな」と「宗一郎」の、「ああっ、座りつかれた。どっこいしょ」の溜め息まじりの声を聞き聞き出発する。

●リラちゃんの夢
そうすることが、当たり前のようにザバザバと白波が立つ海。その波の引き際にたまに見え隠れするザラザラ、ゴツゴツとした岩場は、放り出されて溺れでもしたら、それは間違いなく人を舐めまわして、瞬く間に海を血色に染めるだろう。《なんちゅう、物騒なとこや》。「世界遺産・ケープコーストの要塞」は、一瞥してそう思える海辺に建てられている。

最初は興味本位だったかも知れない「見てみたい」は、売買された黒人奴隷達の部屋入り口に立ったとたんに「それじゃ、ダメだ」と反省させられる。ボクの両手は自然に合掌をはじめると、「もう見たくない」。「もう、たくさん」と、嫌というほどの囚われた黒人たちの叫びと映像がぐちゃぐちゃになって、ボクの頭のなかに飛び込んでくる。「何が、世界遺産じゃ、こんなもん」と見えたものを説明して悪態をついたら、「だから、世界遺産に登録されたんじゃない」と逆になおに返された。

ケープコーストを観終えてから、気晴らしに少しばかり今日は贅沢してみるかと、その隣のレストランで注文したロブスター料理が出てくるのを今か今かと待っていると、不意にボク達に話し掛けてきた女の子がいた。長い髪をいくつものミツアミにして束ね、クルクルとした大きな瞳と女性らしさを十分に感じさせる厚い唇。浅黒い肌はうす暗いレストランの照明のなかでもツヤツヤとして見える。

彼女の二人の両親は、ユダヤ系の米国籍を持つ父とジャマイカ出身の母。アメリカからぐるっと世界を旅して、日本で落ち着き、そして彼女が生まれたという。親元を離れて米国の高校に通うまで日本の学校に通っていたとあって、なるほど、彼女の日本語はボクなんかより、ずっと完璧な標準語で「天は、二物も三物も与えて良いもか」とほんの少し嫉妬したりする。

「将来の夢?そうね。世界平和かな」。

意気投合して、この日を境にボク達は、その彼女《リラちゃん》のホームステイ先に遊びに行くようになり、そして彼女の口からこんな言葉が聞けた。

「米国では25%でも黒人の血が混ざると、”おまえは黒人だ”と言われるの」。

米国に進学した《リラちゃん》に、最初に投げかけられた周りからの質問がこれだったという。16、17、18歳。これが、日本で生まれ育ったボクで、ボクがその歳ならば、逆立ちしても答えなんかでてこない質問で、拗ねて、石ころ蹴飛ばすぐらいが精一杯だったろうが、《リラちゃん》にはそれができた。

「私は、ユダヤ人でもあるし、黒人でもある。そして、日本人でもあるわ、だから何?」。

そして、つぎの朝。安宿の屋上で煙草をふかし、向こう側の海と、ケープコーストの要塞をボーッとみていると、昨日の《リラちゃん》の夢がボクの頭の中で何度も何度もリピートされた。

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